センチュリーのタクシー

仕事で愛媛県の松山市に行った。松山には過去数回訪れたことがあったが、これまでは全て空路で、今回初めて電車を使い陸伝いでこの街に入った。

かつての城下町だった街は、その中心が城跡を取り囲む様に広がり、汽車の駅はそこから離れた場所に後から作られたケースが多い。松山もそんな街の1つで、駅から繁華街まではそれなりの距離がある。

1月の真冬の空の下、3日分の荷物を詰め込んだスーツケースを引きずり、僕はタクシー乗り場に向かって歩く。夕暮れの松山。優しいオレンジに染まりゆく街が、少しばかり寒さを和らげてくれている。

タクシー乗り場で客待ちをする車列に沿って歩きながら、僕はこれから自分が乗ろうとする最前に陣取るタクシーに少し違和感を感じていた。そこにはタクシーの車種としてはなかなか見ることのない高級車「センチュリー」が待ち構えていた。

センチュリーと言えば政治家やちょっと怖そうな方々が使う、いわゆる黒塗りと言われる車。トヨタ自動車が販売する中でもおそらく最上級車種で、自家用車で使われることはほぼ無く、それなりの威圧感はタクシーとしてもそぐわない印象もある。

しかもE.YAZAWAのステッカーが、その車種の威厳に更に凄みを加えていて、気楽には乗れなそうだなと少し緊張しつつ窓をノックする。

こちらに気づいた運転手さんが急いで降りてきた。美味しいコーヒーを出してくれる喫茶店のマスターの様な、身なりの綺麗な紳士的で丁寧な言葉遣いの運転手さんが、スーツケースをトランクに素早く運んでくれた。

良い人でよかった。走り出した車内、運転手さんの人柄に安心し、タクシーとしては勿論、人生で初めてセンチュリーに乗ったと、僕から話を切り出した。

60代中盤くらいの運転手さんは、「おそらく四国ではこの1台、全国でも聞いたことがないですね」と嬉しそうに、そして少し誇らしげハンドルを握り、ご自身の話をしてくださった。

若い時は働き詰めで、色々我慢することも多かったが、子育ても終わった頃から、自分らしく、そして好きなものに囲まれて毎日を過ごしたいという想いが強くなり、兼ねてから乗ってみたかったセンチュリーを相棒に、10年程前からこのスタイルで仕事をされているそうだ。

相棒のセンチュリーは20数年前の古い型式だそうで、内装は現代の様な電子・AI的な設えは皆無で、木目調のパーツが静かに佇み、その1つ1つに愛情が込められ、しっかり手入れされているのが分かる。

今日は気を遣ってかけなかったものの、1人でタクシーを流している時は、永ちゃんの音楽を心のガソリンに、楽しくお仕事をされているそうだ。

思わず、以前に何の仕事をされていたか、ずっとタクシーの運転手さんをされているのか、聞いてみたいとも思ったが、今ここにある運転手さんの存在感が際立っていて、深掘りするのも野暮だと感じ、良き塩梅に身を任せた。

アクセルを踏む度に、静かにうねりを上げるエンジン。吸い付く様にブレることなく安定して走る車体。丁寧に言葉を紡いでくれる運転手さん。駅から目的地までの10分余りの時間。誰にも教えたくない非日常な秘密のアジトを見つけた気分だった。

降車時、荷物を下ろしてくれた運転手さんに御礼を伝え、走り去るタクシーを見送った。その姿に、乗る前にあった違和感は感じず、またこの街に来た時には、あのセンチュリーのタクシーに出会いたいなと思った。そして一期一会、人生の良い先輩にお会い出来たと感じた。